恋の自覚って、いつ生まれるんだろう。優しくされた時?お喋りしてて楽しいと思った時?相手が自分じゃない誰かと仲良くしてる時?正解は人それぞれで、私の場合は今挙げたどれとも違う。
海岸の人気のない岩場で何も考えずぼんやりと海を眺めてみても、今の私の頭の中では同じ動画が繰り返し再生され続けている。もう朝からずっとこの調子だ。

「どうしようこれから」
「何が?」

後ろからかけられた声に飛び上がりそうになった。文字にも表せないような奇声まで発してしまったような。
声の主、羽京くんは何とも言えない笑みを浮かべている、と思う。なにせ今の私は、彼の顔だけをどうしても直視できないのだ。

「あ、あああ!これはその、なんでもなくてですね」
「ごめん急に。様子がおかしいって聞いたから」

それはつまり、羽京くんは私を心配してわざわざ探して声までかけてくれたということ。優しすぎる。

「本当になんでもないよ。この通り元気だし今日の仕事もちゃんと終わらせたし」

こうして捲し立ててる間にもまともに視線を合わすことができず、私の目に映るのは転んだら痛そうな岩肌だけ。

「熱とかはない?」
「熱は多分ないかなぁ」
「うん……」

一歩私に近付いた羽京くんの手が「ごめんねちょっとだけ触るよ」と伸びてくる。
ああこれ熱を測られるやつだ、どうしよう恥ずかしい。いや嬉しいけど今はとてもまずい。
脳内で瞬時に巡らされた思考から出された結論と命令はしっかり体に伝達されたようで、触れられる直前に私の両手は羽京くんの右手をがっちりホールドしていた。
気まずい空気が流れる。受容とも拒否とも捉えられる私のリアクションに、羽京くんも固まってしまった。


この光景を私は知ってる。今朝、目が覚めてから何度も何度も思い出した。私の記憶では逆だった。あの時は、羽京くんが私の手を握ったんだ。
夢の中の羽京くんは、握った私の手をそれはもう大事そうに包み直して、そのまま心まで柔くほぐすように指と指が絡んで、やがて私の目をまっすぐに見つめて微笑む。彼の唇が私に何かを伝えようと動くけれど波の音が邪魔をしてうまく聞き取れない。

「羽京くん、」
「あ……と、ごめん。嫌だったよね、やっぱり」

握ったはずの彼の手がするりと抜けていく感覚で、現実に引き戻された。
これは、私の見た夢の続きじゃない。現在進行形で、私は大事な何かを取り零してしまっている。さっきから羽京くんを謝らせてばかりじゃないか。

「違うの!熱なんかなくて、いや、ある意味あるかもだけどそうじゃなくて」

羽京くんだけには誤解されたくない。優しい彼はこんな私の態度一つにも気を遣ってくれて、そして知らない間に傷付いてしまうから。
だけど、誤解を解くには正直に言わなければならない。私の恥ずかしい妄想を白日のもとに晒すことになる。

「あの……」
「大丈夫。ゆっくりで良いし、無理もしなくて良いから」
「や、ちゃんと言う。言うけど、引いても私のいない所で引いてね」

無駄な前置きをしてから、私は昨晩見た夢に羽京くんが出てきたことを告げた。映画みたいにロマンチックな雰囲気の中で私の手を……というのは言えないけど、その夢を見てから私は本当におかしくなってしまったみたいだ。どうしてもただの夢だって笑って片付けられない。

「夢……そっか。変なこと言ったりしてなかった?僕」

ちょっと恥ずかしいと言いながらも羽京くんはほっとした表情を見せてくれた。ああやっぱり目に毒だ。もうどんな羽京くんを見てもときめいてしまう。この心臓の音だってもしかしたら羽京くんには聞こえてしまってるのかも。

「変なことなんて全然!寧ろ私の方が羽京くんを勝手に夢に出演させて申し訳ないというか、でも夢と現実の区別は流石につけるし羽京くんは気にしなくて良いから……」

羽京くんの迷惑になるようなことは絶対しないから、どうか夢に見たあの光景だけは私の中で大事にさせて欲しい。それだけなんです。

「忘れてって名前ちゃんが言うなら努力はするけど、その前にひとつだけ聞いても良いかな」

私の見た夢と違うのは、この波の音の中でも羽京くんの声はハッキリと聞き取れるということ。

「その、」
「はい」
「名前ちゃんは夢の中の僕の方が好き、だったりする?なんて……あはは」
「す、なっ、なんで!?」
「そんな顔されたら分かるよ。さすがに」

羽京くんだってその顔でその質問は反則だ。
夢の内容は私だけの秘密にしておこう思っていた。でも顔と態度で羽京くんにはバレバレだったのだ。きっと心臓の音を聞くよりも遥かに分かりやすかったに違いない。

「それ言わないとダメ……?」
「だめ。この質問自体が、僕の答えだから」
「あ〜もうずるい、降参!降参です!」

記憶を反芻するだけで胸がいっぱいだったはずなのに、実物の破壊力は私の見た夢よりずっと凄い。
羽京くん、私、いま私に向き合って話を真剣に聞いてくれて、優しく触れようとしてくれた羽京くんが一番好き!
開き直って告げた言葉は羽京くんの心にしっかりと届いて、しかもこの気持ちはどうやら報われるらしい。
ちゃんとした返事をもらう前に、羽京くんが腰の辺りで小さくガッツポーズしてるのが見えちゃったから。



2021.3.6


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